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Q2 「食用犬」が別にいるのでは?

大きな犬はポシンタン用に、小さな犬は犬焼酎に・・・ 捨て犬や競売場で流出した犬たちが食用に取引されることは、既に何度か言論を通して報道されました。2007年11月にも、KBS“イ・ヨンドンPDの消費者告発”で、「あなたは愛玩犬を食べています」という題目の放送をしたところ、在来市場で大きいのや小さい愛玩犬たちが隠密に取引され、残忍に屠殺されている場面をみて、衝撃を受けたという人たちが大勢いました。

犬肉には食用犬だけ使用するのだと、まるで犬という種の中で殺して食べても良い犬種が別途あるように話すことは、犬肉産業者と一部の擁護者たちが自身の営利と便宜のために、身勝手な発想で仕立て上げた嘘であるだけなのです。

すべての犬は、犬たち特有の属性を全く同じように備えて生まれます。このように同一の犬を、殺して食べれば“食用犬”であり、懐に抱くなら“コンパニオンアニマル”ということです。いくら政府が任意で用途を付与して犬を食用と愛玩用に区分して法適用したとしても、犬という動物が、付与された用途によって苦痛を感じる程度が変わったり、生まれながら持った習性が変わっていくものではありません。

犬たちは犬種によって同じ外見だけ違うだけで基本的な属性はすべて同じですから、食用犬と愛玩犬で区分することは、あたかも皮膚の色によって待遇を異にして弾圧する、人種主義と変わりありません。どんな犬でも犬であれば、犬本然の属性は皆同じです。

2008年から施行された改正動物保護法は“家庭動物”管理に集中していて、そのぶん、保護規定が粗末なものになっています。動物登録制の登録対象動物が“家庭で飼う犬”と決められ(※1)、農場はもちろん、店や会社で飼う犬まで除外されています。ガソリンスタンドや金物屋の隅に繋がれて、物のように放置されたまま生きながら、あるときは“暇つぶしに”虐待を受けたりして(眉間にネジを打たれた事件もある。)、伏日(※2)になるとやっと1mの紐で開放(?)される犬たちは登録義務対象ではありません。これは、犬食用問題を避けようとする政府が突出した知恵(?)を効かせた結論でしょう。コンパニオンアニマルの対象を全ての犬と猫にしなければ、そのどんな設えも実効性を持つことができないものです。即ち、あちこちに散在した状態で、無数に飼われ繁殖される彼らを保護・管理することができないということです。


(※1)2013年からは、家庭で飼われている犬のみならず、飼育下のすべての犬を対象に登録制が施行された。
(※2)伏日・・・ポンナル。一年間の犬肉消費量のうちの、60%が消費されるという夏の3日間。

        


出所:KARA 動物保護ムック<息吹>創刊号




Q19 犬食用を合法化した方が、残忍な虐待を減らすことになるのでは?
http://dogeat.blog3.fc2.com/blog-entry-64.html


Q1 犬を食べることに抵抗を感じるのはなぜでしょうか?

犬を食べることに抵抗を感じるのはなぜでしょうか?



「犬を食べることは、乳幼児を食べることに値する」


 犬猫は、親近感のヒエラルキーの頂上付近に位置するといっても良いでしょう。なぜならば、あまり話したことのない近所のおじさんが死ぬより、自分と暮らしている犬猫が死んだほうが悲しみは大きいと言えるでしょう。つまり同種の人間よりも身近な犬猫の方が親近感はより強いといえます。

 また、他の動物と比べたとしてもペットと言うイメージから連想するのは、蛇、トカゲではなく、多くの場合犬猫でしょう。 さらに、犬猫には2-3歳児の知的能力があるといわれています。つまり、2-3歳児のパーソン(人格)があるといえます。そして人間との繋がりは多くの場合、その動物がもつ人格とのつながりであり、お互いが人間の人格と犬の人格の相互間の信頼に基づく尊重関係があるから、親近感のヒエラルキーの上部に位置するといえるのではないでしょうか。

 だから、犬食反対は犬の人格を尊重する事であり、人格を消滅させること、つまり殺す事への反対運動だと言えるかもしれません。

 そうした上で、人格を持った犬を食べる事に賛成するのであれば、犬と同じぐらいの人格を持った人間の乳幼児を食べる事も問題はない、ということになります。 つまり乳幼児を殺しても、あるいは食べる事も良いということになります。

 すぐに出てきそうな反論として、法律があるから出来ない(悪い)というのであれば、法律に価値判断を求める事になり、自然主義的誤謬となります。なぜならば、法律は国家が国民を制約するためのルールであると言えます。 「悪法もまた法なり」と言う言葉がありますが、国民が守るべきルールではあるけれども、直ちにそれがルールであるから正しい(善い)と言う価値判断は出来ないということです。

 だから人格をもった乳幼児を食べるべきではないと主張するのであれば、2-3歳児の人格をもった犬も食べるべきではないと言う事になります。

 また、動物であると言う理由で食べてもよいとするのであれば、それは差別原理に直結します。つまり種差別になります。これが女性、黒人、部落、日本人、韓国人、ユダヤ人と言葉を置き換えれば判りやすいと思います。自分ではどうすることも出来ない理由で不利益を与えることは「善い」とはいえません。

 そこで反論が出ることになるかもしれません。慣習である、習慣である、文化である、伝統である、法律である等々。もし、「慣習である」をある行為を正当化する理由にするならば、「慣習であるから、配慮したほうがよい」ではなく「慣習であるから守らなければならない」と言う事になります。しかし、著しく理不尽な慣習でおいては(例えば、伝統的な男尊女卑、地域によっては夜這い、割礼など)、「慣習であるから守らなければならない」とはなりません。つまり、守るべき慣習とそうでない慣習は「善悪」という価値判断をされていることになります。そうなるとある行為においての価値判断は「慣習」に関係なく「善い、悪い」で判断されていることになります。だから、結局、慣習を理由に、その行為を正当化することは出来ません。これは、文化や伝統、習慣、法律などにも同じことが言えます。

 以上のことを勘案すると、親近感のヒエラルキーの頂上付近に位置する犬を食べることは、犬と同じぐらいの人格を持った人間の乳幼児を食べる事と同じぐらい良くないことだと言えるでしょう。


* ヒエラルキー(ヒエラルヒー)・・・階層、上下関係によって、階層的に秩序づけられたピラミッド型の組織の体系。 位階制。身分階層制。

提供:KTN



Q3 犬食は韓国の伝統文化ではないのですか?
http://dogeat.blog3.fc2.com/blog-entry-48.html

Q6 文化・伝統・慣習は守られるべきでは?
http://dogeat.blog3.fc2.com/blog-entry-51.html

Q11 コンパニオンアニマルから先に保護しなければならないと?
http://dogeat.blog3.fc2.com/blog-entry-56.html

Q20 人間を食べてはいけないのに、動物なら食べてもよいのですか?
http://dogeat.blog3.fc2.com/blog-entry-65.html

Q24 「かわいそう」は、論理的な理由ではないのでは?
http://dogeat.blog3.fc2.com/blog-entry-69.html



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