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Q28 ベジタリアンの人たちは、肉食者を攻撃していると感じるのですが

公開された掲示板などで、動物問題に関して動物愛護的ベジタリアンの事を説明すると、「攻撃的」だとか「押し付け」だとか言われる場面が多く見られる。説明を書いた側としては、そんな意図はないし単に説明しているだけで、強制的な押し付けや攻撃など考えもしなかったことである。そこで、何故そのように感じる人がいるのかを考察してみよう。


動物愛護は利他的な行動であり、その枠組みを人間から、さらに動物まで広げたものといえる。この利他的行動というものは何故存在するのだろうか?
また、この利他的行動は人間だけではなく動物にも存在しているのである。

人間に限らず進化生物学的に言うと、多くの動物は、互恵的利他主義と血縁選択説により利他的行動を進化させてきた。互恵的利他主義というのは、簡単に言えばお互いに協力すればお互いにとって利益があると言うものであり、血縁選択説とは、親子、親戚関係にバイアスが罹るということである。当然、自然選択においては有利に働く事になる。これは、自分が親子兄弟のために死ぬ事になったとしても親兄弟を残す事によって、自分の遺伝子の50%は残せるというものである。こうした自分の遺伝子を残すために有利な形質である互恵的利他主義と血縁選択説による利他主義的行動が、自然選択の中で有利に遺伝子を残すことが出来たそうである。

この自然選択で得られた利他的行動という形質においては「(罪のない)動物や人間を殺したり、傷つけることは悪いことである。」といった(この問題だけでなくもっと多岐多様なものがある)、規範的な社会的合意=直観のようなものが持続的に存在するということがみられるそうだ。

そして、一時的な欲望等でそれらの持続的な直観に反することをすると、心の中で矛盾が生じることとなり、その矛盾が一時的な罪悪感を覚えさせることになる。

動物の話に戻ると、動物利用は過去においては、生きるか死ぬかの自己保存にかかわる問題であったわけであり、上記の直観に都合のよい理由を付けてひた隠し(考えないように)にしてきたわけである。

そして、ほとんど通常の状態ではそのことに、何の疑問も抱くことなく生きてきた訳であるが、ひとたび動物問題が起こって議論になり、「都合のよい理由」に対して理論的な誤りを指摘されると、そのジレンマが突然の嵐のように心の中で罪悪感として吹き荒れることになる訳である。

だからその罪悪感は上記の都合のよい理由と比較された場合、攻撃されているような錯覚を起こすことになるのだと思われる。あるいは、突然、怒り出したりする人もいる。このことはSNSの動物関係のコミュや動物愛護関連の日記のコメントでもよく観察することができる。つまり『私に罪悪感という「悪い」不愉快な苦しみを目覚めさせたのは「君だ」』と言うわけである。つまり押し付けは『「直感的」「理論的」に逃げようのない』と言う意味であり、攻撃は、『罪悪感という「悪い」不愉快な苦しみ』を与えたという、誤謬から発生したものだという事ができる。

そう考えれば、動物の利用への(普段はひた隠しにされている為に表に出てこない)罪悪感には、相当なものがあると思われる。

もっと簡単に言えば、人間は「罪もない動物を殺すことはよくない」とか「皆が幸せになるのは良いことだ」といった、普遍妥当であり潜在的といえる(潜在的にされてしまっている)直観を持っているのだということである。

そして、(かつては動物利用をしなければ生き延びてこれなかったために)その直観を打ち消すような「理論武装」が必要であった、つまり「感謝すればよい」「文化伝統である」「慣習である」「人間はアプリオリな価値がある」「人間は神に似せて創造された」といった様々な「一見合理的に見える」理由で「理論武装」されてきたわけである。

その理論武装がないと上記の直観とのジレンマに苦しむ事となるわけである。そして、感受性の豊かな人ほどその苦しみは大きいわけである。さらに過去においては、動物を利用しなければ生きていけなかったという、自己保存に関わる緊急避難的な合理的理由があったにもかかわらず、さらに理論武装が必要なぐらいの、相当な罪悪感があったのではないかと推測できる。

しかしこういった理論武装の欠陥をひとたび指摘されると、人間は積み木が崩れるように内部で混乱を起こすことになる。自分のしてきた事が、「悪」であり自分は「悪人」であると(そこまでは誰も指摘していないのであるが)言う事になるのを自覚するわけだけれども、そんなことは認めたくない場合が多く、さらなる理論武装しようと「言い訳」を考えて再反論して来る場合が多々ある。逆に、素直に認めて改善しようとする場合もある。

「自分の行ってきた事が(昔と違い自己保存のための緊急避難的なものでなく単なる、贅沢であるという)悪であり自分は悪人であると自覚させられることになってしまう(そしてそれが自分の持つ直観と一貫性を保っている事に気付いてしまう)」この部分が攻撃されているように感じたり、怒りを覚えたりする部分であるといえる。

しかし、新たに理論武装をしようとしたとしても、それは意識的な、つまり恣意的なものであり、潜在的な直観と整合性を保つものではない。だからいくら理論武装しても、動物問題という意識を持ってしまった以上、ジレンマはなくなることなく、人間の内部に存在し続けるだろう。

これをなくす方法は、子供の頃からすでに持っている「直観」に従う事だけだと言えるだろう。



提供:KTN




Q9 犬肉を食べるなと言うのは、他者に対する押し付けになるのでは?
http://dogeat.blog3.fc2.com/blog-entry-54.html


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