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Q25 肉は感謝をして大切に残さず食べれば良いのではないでしょうか?

闇雲に肉食を肯定しようと試みる人たちが、食に関する感謝の念を、履き違えて使用している例を非常によくみかけます。
そもそも「頂きます」「ご馳走様」という言葉に表される感謝の念は「食べる物を授かったこと、食べ物を食べられること、そのおかげで自分の命を繋いでいけることへの有難さから生まれる思い」ではなかったでしょうか。

戦時・戦後の長い食糧難で、最低限の食べ物にすら事欠く時代を生きてきた私の祖母は、暴飲暴食をせず、食べ物を粗末に扱うこともありませんでした。例えば、ご飯のなくなったお櫃には必ずお湯を注ぎ、こびりついている米粒の残りをこそぎ落として、次の食事のときに食べるととっておく人でした。頂き物の漬物が不味いと家族全員が口をつけなくても、「食べられないほどではない」と言って、少しずつ長い日数をかけて食べ、“味が不味いから”と安易に食べ物を捨てることはありませんでした。
食前・食後には手を合わせて祈るように厳かに、「頂きます」「ご馳走様でした」と言っていました。
本来の食に関する感謝の念はこのようなものであって、“一方的に自分が奪った命(他の生き物)に押し付ける、身勝手な言い訳”ではなかったはずです。

現代の豊かになった国々では飽食による病気が蔓延し、人間が生きるために必要である以上の食べ物があふれかえっていて、日々膨大な量の食料廃棄があります。このような状況で、“感謝をして残さずに食べるのであれば”いくらでも、また、どんな生き物でもその命を奪っていくということは、果たして普遍妥当で、正当化できることなのか考えてみるべきでしょう。

食べられる側の立場になって考えてみればすぐに分かることなのですが、自分が動物だったとして、殺されて食べられて、どんなに「感謝されても」、若しくは「謝罪されたとしても」やはり納得がいかないでしょう。
生きる権利を一方的に奪われたのですから。

さらに指摘するなら、食べるものが何もない状況で、人間も動物も自分の生存のために、食うか食われるかの戦いの上で、起きたことでもないのです。

命の犠牲は、少なければ少ないほど良いのです。
無駄に奪う命からなくして行きたいものです。



提供:KRL




Q20 人間を食べてはいけないのに、動物なら食べてもよいのですか?
http://dogeat.blog3.fc2.com/blog-entry-65.html

Q23 人間が動物を利用するのは、当然のことではないですか?
http://dogeat.blog3.fc2.com/blog-entry-68.html



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