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Q20 人間を食べてはいけないのに、動物なら食べても良いのですか?

犬や猫等のコンパニオン・アニマルの命に対しての
道徳上の権利について議論していると、
必ず他の動物(牛・豚・羊・鶏など)や、植物の事を
持ち出してくる人達がいます。

犬猫食反対に対して一番多いのが、他の家畜は?という声です。

この意見に対しては、せめて人間の身近にいて食としての必要性が
認められない動物だけでも食のカテゴリーから外してあげませんか?
と言えば、納得される方もいます。

しかし、日本もクジラやイルカを殺しているが、文化であるから
批判される筋合いはなく、自分達も他の国の食にあたるものを
批判するべきではない、という意見も多いです。

自分が正しいと思うことでも他人に(他国に)押し付けるべきでは
ないという、寛容な姿勢(寛容主義)が最も正しいという意見が
今の日本では多く見受けられますが、
それは個人主義の中の「自分さえ」という気持ちの言い訳に
なっていないでしょうか。

自分の「正しい」を押し付けるべきでないというのであれば
自分の犬を盗んで食べた人や、自分の子供を殺した人が居たとして、
悪気がなければ一切、反論せずに許さなくてはなりません。
それが出来ないのであれば、筋道が通らなくなってしまうからです。
このように寛容主義の主張には、落とし穴があるのではないでしょうか。

では、「文化」はどうでしょうか?
「文化であるから」と、文化を普遍的なもの、絶対的なものとして
捉えるのであれば、過去に行われた慣習(文化)までも、全て
残されていなくてはなりません。
善いものは残され、時代に見合ったものとして変化しています。
悪習までも文化(慣習)であるから、と容認し、継続するべきなのであれば
一例として、日本の切腹や晒し首なども普遍的に残されていなくてはならないもの
ということになります。

命あるものとして、動物も人間と同様に、なぜ尊重しなければならないのか?
それは、善い・悪いの価値判断によりますが、 一言で表すと、“差別”だからです。
人間以外の動物への差別は、あらゆる差別へと結びついていきます。

動物が虐待・虐殺されたり、保健所で殺されている事には
多くの方が異議を唱えられますが、食されている事に関して
なぜ多くの方が反対しないのでしょう。
「食する」という前提があれば仕方がない、とか
人間が食物連鎖の頂点だから、という意見があります。

食物連鎖の頂点という意見ですが、地球で人間だけが
食物連鎖に加わっていません。
それは、人間だけが捕食するという言葉の域を超えているから
です。

「食する」前提についてですが、それは全くの人間都合の言葉であり
殺される動物にとっては、食するために殺されようが
精神異常者に虐殺されようが、説明しても言葉が通じないのですから
全く同じ事です。 たとえ言葉が通じたとしても、「食べるためなら
殺されても仕方がない。」と思う動物はいないでしょう。
苦痛と恐怖の長さに多少の差があっても、恐怖におののき、
鳴き叫びながら絶命していることに変わりはありません。

食肉にされている家畜は人道的に育てられて殺されている、
と思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、農場、屠畜場の状況を
見れば、そうではないことが如実に分かります。
スーパーで売られている豚肉や牛肉の値段を見れば、良質の餌を与え
良い環境で育てられ、一頭ずつが確実に苦痛なく殺され、流通して
いるなら、そのような値段にならない事は安易に想像できます。
(※苦痛なく殺すのであれば善い事である、という意味ではありません)

何故、人間以外の動物の命なら構わない、仕方がない、
と思うのでしょうか。

言葉が話せないからでしょうか?
言葉が話せないというのなら、人間の赤ちゃんや幼児も同じです。
何かを要求したり伝える時には、泣いて知らせたり、自分にできる
最大の表現方法を使います。
それは、他の動物も全く同じです。
あらゆる感情や痛みなどの表現を人間に伝えやすい動物ほど
人間の心に投射し、意識を融合しやすいので感情移入する
度合いが大きくなります。
その度合いの大きいものほど、救ってやりたいと
思う事はとても自然な心情です。

それでも、人間と他の動物を一緒にするな、というのであれば
それは人間と種類が違うからでしょうか?
見た目が違うからでしょうか?
種類や見た目というのであれば、それが人間においても
「差別」として行われていることが、とてもよくわかると思います。
そして「差別」= 悪いことです。
人種差別。外見の差別。

自分と全く肌の色や見た目の違う人種、
体の不自由な方への偏見、
顔立ちが綺麗だと思う人・そうでないと思う人、
その他の身体的特徴など。

つまりは、動物に対しての差別を善い事として正当化できる
理由がないのです。

人が人を殺してはいけない理由は、なんでしょうか。

・殺すときに多大な苦痛を与える事になる。
・将来、出会うであろう快苦等の機会を奪う事になる。
・周りに悪影響を与える。

だから人が人を殺してはいけない。

これは動物にも当てはまり、この理由で人間を殺すことががダメであるなら、当然、動物を殺すこともダメだという事になります。

これが公平な論理になります。

(特に先進国の)人間は動物を利用しなくても生きてゆけます。
また、その事を知っています。
つまり動物を利用しなくとも、人間の生活がより悪くなるわけではないのです。
言いかえれば、贅沢のために利用しているにすぎません。
そうすると動物を利用する合理的な理由はないことになります。

にもかかわらず、現実では、家畜も含む動物は人間の勝手な都合で
論理を無視して殺されています。

だから、このことは動物が不正な差別を受けているという証明でもあります。

動物を殺す事は正当化できません。善い事ではありません。
それを踏まえた上で、まずは身近な動物や、苦痛の大きい動物から、
人間の身勝手な支配から解放するべきです。

自分に出来ること・出来そうなことは
それぞれ違うと思いますが、
ひとつでも多くの命を救える(解放できる)ように
努力していかなくてはなりません。



提供: LAVENDER



Q1 犬を食べることに抵抗を感じるのは何故か?
http://dogeat.blog3.fc2.com/blog-entry-46.html

Q21 同じ生き物なのに、植物は食べてもよいのですか?
http://dogeat.blog3.fc2.com/blog-entry-58.html

Q23 人間が動物を利用するのは、当然のことではないですか?
http://dogeat.blog3.fc2.com/blog-entry-58.html

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