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Q11 コンパニオンアニマルから先に保護しなければならないと?

動物虐待と遺棄動物問題をよく調べてみると、多くの場合犬食用問題に直面することになります。家で飼っていた動物をポシンタン(補身湯)用に売ったり、道に捨ててしまう事態は、動物との関係を軽んじ、動物も苦痛を感じるひとつの生命体として感じていないからです。
食べても良い動物だという認識が、それだけその保護価値を希釈するしかなく、実際にそうであります。よって、捨てることも、虐待することもたいした事ではないと感じるようになります。

人間社会の奥深くに存在し人と共に、家族として友達として親密に生きて来たコンパニオンアニマル(犬と猫)まで家畜へ転落させ、食べ物のメニューの一つとして定着させることはとても危険なことです。側で頻繁に遭うことができる動物を、一緒に生きていく生命体として大切に思う姿よりも、食べることもできる動物として軽く考え、虐待したり放置したりして捨てたり、あろうことか犬肉業者に売ったり、潰して食べる姿を私たちの生活環境の中で、頻繁に直面することになるということです。

人間の言葉は話せないけれど、動物もいくつかの方法で言葉を話します。私たちは彼らの言葉を読んで、表現が難しい障がい者はもちろん、一般的対人関係でも他人の心を読んであげることができる力を養うことになります。そんな配慮の甘受性と疎通と共感の能力を養いながら、情緒的安定と喜びを受けることができます。まず、身近にいる動物と、このような肯定的な関係を結んで、暖かい社会を作っていくことは、何よりも私たちの人間関係に助けになることです。

豚などいくつかの動物の種が愛玩用に飼われることもありますが、それは少数のケースで普遍的ではなく、今後も普遍化することはないでしょう。犬と猫は遠い昔から、全世界普遍的にコンパニオンアニマルに選ばれてきて、コンパニオンアニマル保護政策が別途、立てられてきています。彼らはコンパニオンアニマルに選ばれるだけの特性を持っているということです。もしも、長い年月が過ぎたあと、他の動物たちもコンパニオンアニマルに普遍化されたなら、それもやっぱり食用にしてはなりません。そのように人のそばに生きるコンパニオンアニマルをどのように遇するかは社会全般の生命尊重意識に多くの影響を与えることです。

犬の食用使用が認定されている限り、コンパニオンアニマルの保護や生命尊重という言葉は空虚なだけです。現行法でも明らかに動物の虐待と虐殺を禁止していますが、犬を苛酷に拷問したり、残忍な方法で殺した人を申告しても、警察たちは概して迅速に出てくることはありませんでした。この犬が「誰の犬か?」と訊くので、この人の犬だと言うと「自分の犬にそうすることに、何も言うことはできない。」と、回避するばかりです。現行法上、罰金刑や拘留へ処することができるケースでも、まず、警察たちが協力的な態度をするのを見ることはありませんでした。犬食用が認定される限り、どの犬がコンパニオンアニマルで、どの犬が食用なのかの区分は模糊とするしかなりません。結局、どの犬でもその社会的地位が“食用犬”水準で承諾され、虐待を防止するのが難しいのです。ここそこでたくさん飼われている犬という動物が、むやみに扱われても制裁をうけない現実、果たしてそれは、私たち人間に助けになることでしょうか

従って、コンパニオンアニマル食用根絶は、動物保護の初めのボタンだと言うことができます。
動物保護団体たちはコンパニオンアニマルではない、実験動物産業、畜産、毛皮産業等、多様な領域の動物のためにも努力しています。私たちは犬だけ保護しようと言うのではなく、各動物種が遇する現実にあわせて問題を解決していこうと言うものです。しかし、“犬だけ”保護するのか?と訊いて“牛、豚の苦痛”云々と言う人たちは、実は牛、豚を積んでと殺場へ行く長い電車に、犬を積む最後の貨物列車を連結しようとしているです。(参考:牛や豚はかわいそうではないの)



出所:KARA 動物保護ムック<息吹>創刊号




Q1 犬を食べることに抵抗を感じるのは何故でしょうか?
http://dogeat.blog3.fc2.com/blog-entry-46.html

Q12 牛や豚はかわいそうではないの?
http://dogeat.blog3.fc2.com/blog-entry-57.html



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