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Q5 そもそも、文化とは何ですか?

日本で韓国の犬肉反対のための署名を集めたり、犬食に抗議・否定すると、必ず「他国の文化に口出ししてはいけない。」という主張をする人たちが大勢現れます。

韓国の犬食・犬肉に関する情報が極めて少なく、さらに誤報や偏った情報が蔓延している日本では、韓国の犬食は「韓国の文化(或いは、伝統文化)」という認識がほとんであるため、このような現象が起きてしまっているようです。

こうして、「文化だから」と、まるで“韓国人の犬食を守るのは日本人!?”というような、非常におかしな状態になっています。

「文化」と言えば、なぜか「絶対的で、触れてはいけないもの、変えてはいけないもの、無条件に守るべきもの」という、認識を持っている人たちが大勢います。
そもそも、「文化」とは何なのでしょう?
「文化」という言葉の落とし穴について私たちはしっかり認識しておく必要があります。


以下 提供:ONK


“文化や習慣に普遍的な価値など無い”

万人が価値を認めている訳ではない只の習慣を、文化などという空虚な言葉で飾りたてたところで、全く価値は無い。
文化とは、只の習慣であり、習慣とは単に「いままでやってきた」というだけのこと、その習慣に弊害があるのならば変えていけないものではない。
寧ろ因習や悪習は歴史の流れの中で、淘汰されるべきものであり、囚われるべきものではないのだ。

文化とは、その習慣に肯定的な価値観を有する者達が、勝手に文化だと思い込んでいるだけの幻想に過ぎない。
その習慣によって犠牲を強いられ、苦しめられる者が居るのならば尚のこと、その習慣に否定的な者達にとっては、容認を迫られる筋合いのない因習・悪習でしかない。

価値観の異なる他人に自らの習慣を、文化として受容して欲しいのなら、先ずは自らの習慣が因習・悪習と見なされる要素を改め、他人に受容して貰えるよう自らの習慣を洗練して行くべきであろう。

それを怠り、数々の弊害を残したまま、自らの習慣を文化と呼んだだけで、他人に受容を迫るのは、文化という言葉の悪用であり、因習・悪習に囚われる思考停止の態度、他者に弊害を押し付ける傲慢な態度である。
寧ろ文化という名に胡座をかき、数々の弊害を他人に押しつける因習・悪習は淘汰されて然るべきであろう。



“文化相対主義とは思考停止の思想”

「異なる文化や宗教を尊重しなければならない」などと、「文化」や「宗教」とさえ呼びさえすれば、何でも容認してしまう、或いは容認すべきだと勘違いしてしまう人達がいるが、それは思考停止に陥っている状態である。
文化も宗教も所詮は人が決めたもの、決めたのが昔の人や宗教的権威者であろうが、国や民族が異なろうが、同じ人である我々が変えていけない訳ではない。

真の友好関係とは、宗教や文化を腫れもの扱いし、触らない態度を取るのではなく、文化相対主義というイデオロギーに囚われることなく物事の是否を考え、異国や異文化であってもおかしな事は、おかしいと率直に意見を述べ合い、お互いに変化を促して行ける関係である。





Q4 犬食反対者は文化相対主義を知らないのでは?
http://dogeat.blog3.fc2.com/blog-entry-49.html

Q6 文化・伝統・慣習は守られるべきでは?
http://dogeat.blog3.fc2.com/blog-entry-51.html

Q7 文化よりも大切なものはありますか?
http://dogeat.blog3.fc2.com/blog-entry-52.html

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