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ポシンタンは伝統食物?

既にポシンタンとしてある歴史の中の食文化としての価値が色あせている今、既に国内、動物性食品の生産が余りある時点で、犬肉が持っている補身食物としての価値があるものか、という疑問を提起せざるおえない。

“ポシンタンは伝統食物?”
ファン・スンウォンの文に出てくる貧しい農村の犬肉食用風習は、食用消費が普遍化される以前の十数年前までだとしても、私たちの周辺で普通にみられる現状だった。
しかし、今後は犬肉食習慣が、そのように貧乏で伝統的な庶民たちの食文化にみえなくなり、むしろ時間とお金がありあまる食道楽を楽しんだり、補身のために動物を無差別に殺して食べることと変わりない補身文化になった。

頑なに犬肉が請孔子の時節に祭祀料理だったので、史記、 皇帝內經太素をとりあげて、古代中国の犬肉食文化から、私たちのポシンタンに対する正当性を探したり、 飮食知未方、食料本初、食農本初経、東国歳時記、名医別録などの資料に言及しなくても、私たちの日常の節気区分にも犬肉の歴史は残っている。百姓がポンナルに、「ポンナル遊び」という犬を殺して食べる歳時風俗があるほどなので、その価値を認めるしかない。
ポシンタンは明らかに、私たちの長い歴史の中に一緒にある食品だった。

しかし、このような主張を通して誤解する点は、今日まで、私たちが犬肉を消費する事が“文化的に価値があるのか?”と考えることだ。過去、タンパク質供給が不足な時代に発生する犬肉食習慣が、牛肉や豚肉がありあまる畜産農家が、牛や豚の飼育を放棄している現実の中で、補身のために残忍な堵殺を拒まない今日に、文化的価値があるのか?

私たちが認識しなければならないのは、ポシンタンという過去の歴史が持っている生態学的な理由と価値であり、文化的相対主義という名前で包装される補身文化をうなずくことは違うという点だ。
それからさらに、栄養学的価値が不明であるのなら、私たちが全世界の非難を受けながら、残忍は犬肉の生産と消費を継続する理由がどこにあるか?

[2007-07-16]  만만풍산견종견장より抜粋


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