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Q32 ④犬食を反対する論理的な理由はあるのですか? 

韓国動物保護団体 討論掲示板より
ある犬食擁護者による犬食賛成論に対する、反論 2
W・Lee氏 編

1. 「多文化主義で犬食用が受け入れられるのではないですか?」

(反論)
<多文化主義>ですって?!
多文化主義、文化相対主義はfactsに関するもので、倫理的相対主義まで受け入れなければならないということではありません。民族主義まで行く必要もなく、「多文化主義で犬食用が受け入れられる。」という基本観点から間違っているものです。多文化主義の存在条件が人権、民主主義だというなら、その基本的価値に犬食用は違背します。

犬を伴侶動物として家族と思っている人たちに、犬食用は認められない苦痛を与える行為であり、そのような苦痛を感じる人たちが大多数であるから、倫理的普遍主義を持ち出す必要もなく、犬食用を多文化主義で説明しようとする試みは、間違いであります。

犬食用を未開で野蛮だと言う事は、“隣人の苦痛を無視し嘲笑までして、食用を主張する賛成者たち”に対する怒りの表現だと捉えます。敢えて、生態中心主義的環境論まで論ずる必要もなく、とにかく「救おう」とする立場からみるとき、「殺そう」や「殺して食べよう」という人たちを、文化的だとか先駆的だとか言う事は難しいからです。



2. 「犬肉を好む人たちからそれを奪おうとするのは、身勝手な考えだ。」

(反論)
<この上もない人間中心的発想>は、誰がしているのですか!
犬食用擁護者たちは伴侶動物という概念自体を否定しています。人間と同じような身分に動物を並べおくことに対して、大層な不快感が見えます。誰が身勝手で人間中心的な思考をしているのでしょうか?・・・・・ポシンタンが株式と連関した食べ物でしたか? たかだか補養食程度に思われてきた嗜好性食品です。食べないからと、苦しいですか? 犬を伴侶動物として受け入れている多数の人たちは犬食用問題で甚だしい苦痛を感じます。伴侶動物という概念自体を嘲笑し、同種である人間の痛みまで無視しながら、犬食用反対が普遍的な動物の権利を外れた、人間中心的発想だと言うことは正しくありません。

私は菜食をします。しかし、肉食用者たちに菜食をするという話をしたことはありません。菜食をすることだけで、伴侶動物に対する保護と権利を主張することになるわけではないからです。
畜産動物の苦痛に気づき、肉食を減らさなければならないと主張したり、これ以上の産業畜産化された動物がいてはだめだと話すことは、気づきを実践していく過程です。「一挙に菜食主義者に変わるならば、伴侶動物の保護を叫ぶことができる」と言うことは、「ある宗教に入門して、すぐに成人にならなければならない」という話のように、聞こえます。過程がなく成し遂げられる事はありません。

それから、牛・豚・鶏などの畜産化による苦痛を、動物保護者たちではない、犬食用者たちが論じて、他の食用家畜に対する憐憫を利用して、犬食用反対に対する反発心を焚きつけようとすることは矛盾しています。産業畜産化で苦痛を感じている既存の家畜たちに憐憫を感じるなら、そういう人こそが、菜食運動の先頭にたたなければなりません。隣人の血の涙を無視しながら伴侶動物である犬にまで、既存の畜産化の苦痛を平準化しようと言ってはなりません。



3. 「犬肉合法化の反対が犬虐待を幇助、助長するのではないですか?」

(反論)
 一体、それはどのような根拠から出たものですか!
犬が畜産化されることのできない特性を持っている動物だと言う根源的な話は置いておいて、・・・他の家畜の場合と同様に、食用が合法化されるということは、多様な犬肉産業化を意味します。既に犬食用擁護者として有名なある教授に依っても、犬肉加工食品と化粧品をはじめとした多くの生活用品の開発が進行しています。(※しかし、これはあくまでもその教授の個人的研究範囲内である。)犬肉産業化は現在の生活とは違い、犬肉に関する需要が供給を決定するのではなく、供給が需要を支配することになり、大量工場式畜産に依存されることになるという事実は、牛・豚・鶏など、既存の家畜の事例と変わりないでしょう。

市場経済体制から富の蓄積のために、大規模飼育は消費のためのいろいろな法案を用意することになり、それに従った飼育の規模は漸次拡大され、今とは比較できない規模の犬肉消費が成し遂げられるでしょう。食用合法化が大量屠殺を招くという事実は、既にいくつもの研究結果でも明かされているところがあります。「消費増大はないです」と?・・・この上もない個人的な推測を事実のように話すのは危険なことですね。

また、人間の生活圏内でもっとも容易に遭遇することのできる動物は、牛、豚、鶏などではなく犬です。
誰でもいつでもたやすく接することができるので、食用が合法化され、食べ物として見られるようになったなら、残酷な秘密屠殺は、さらに多くなることでしょう。ソウル市庁掲示板で、ある犬食用者がこういっていました。「犬は死ぬことを知らず、呼べばやっててきて簡単に捕まるから、殺して食べるのがたやすい」と。・・・犬食用が不法だった昔にも、あちこちで起きる残忍な秘密屠殺を止めることはできませんでした。合法的な食べものとして認識される場合は、そんな屠殺がさらに増えるでしょう。犬食用合法化で残酷な飼育と屠殺を止めるということは、殺人を止めようと戦争を起こす様です。犬食用根絶だけが、拡大を止めることができるのです。



4. 「犬肉を法的枠に入れ込んで、普遍的な動物権運動を模索しなさい!」

(反論)
「犬食用と伴侶動物文化が共生できる。」と見ているとは!・・・一方では家族と認定している動物を、また一方では肉だと見ている状況が呼び起こす、深刻な副作用に対しては考えてみたことがありますか?
相互間なんの追突もなしに調和されたように、その二つの部類がなんの苦痛もなしに、同じ社会で生きていくことができるでしょうか? 食べている側ではどうか分かりませんが、犬を家族としてみている多数の人たちにとって、それは耐えられない行為だという考えが、何故できないのでしょうか?
伴侶動物文化自体を認めないわけでないならば、犬を家畜化することは、普遍的動物権を下向させるという事実をも、認めないわけにはいかないのです。

畜産先進国でさえ、代案畜産がなされることは時間の問題です。人道主義的な畜産が全世界的に成し遂げられるには、まだ多くの努力と時間が必要です。未だ工場式畜産による動物虐待が蔓延しているのが実情です。上の文中(※犬食賛成者の原文のこと)の「先進圏の動物保護を見て学べ」という言葉は、失笑を起こさせますね。犬食用反対と伴侶動物文化が西欧事大主義だといいながら、今度はまた、先進圏から学べというのですか?・・・・まっとうな動物権運動に自ら進んでやっていくという言葉は、最後まで一言もありませんね。動物保護は犬食用に反対する人々の役割だから、自分は殺して食べることだけをしながら、動物保護運動を非難だけしていく、ということに見えます。

伴侶動物文化から認定しろと言いたいです。伴侶動物文化さえ認めることができないなら、動物権に対する言及をする資格もありません。動物の権利とは抽象的で概念的な知識ではなく、直接的な体験から来るものです。伴侶動物を通して動物が苦しんだり、喜んだりすることを知っている“人間らしい”人ならば、動物の苦痛の前で憐憫を感じるしかなく、生きている他者に対する憐憫と畏敬が、自然に他の全ての生命体につながり、動物権の基礎を成すからです。


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